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記事入力 : 2010/08/02 15:11:58
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格差社会:貧困の繰り返しにあえぐ人たち
7月2日午前8時、路地裏にある一軒家の門が開いた。
ソウル市永登浦区にある住宅の2階(66平方メートル)から、女子高生3人と小学生が次々と降りてきた。
祖母のパク・ゴンスンさん(71)は、疲れ果てた表情で家の掃除を始めた。
「まさに戦争ですよ。年ごろの孫娘たちが一度に顔を洗うので、排水溝は毎朝詰まってしまいます」
パクさんは食堂で働きながら、5人の子供を高校に行かせた。
子供たちにある程度の学歴があれば、勉強などしたことのない自分よりは楽な人生を送れると思い、懸命に育てた。
ところが、アジア通貨危機を前後し、パクさん一家に大きな試練が訪れた。
小さな商店を経営していた息子たちの仕事が次々と行き詰まってしまったのだ。
長女(46)は家出し、二人の孫をパクさんが引き取った。
しかし今度は、食堂で働く次女(44)が飲食店の経営に行き詰まり、、息子と娘を連れて実家に戻ってきた。
パクさんはこれまで、デパートで清掃員として働く独身の長男(47)と二人で生活していたが、2部屋しかないこの借家に大人3人、子供 4人で暮らすようになった。
長男は最近、外のサウナで寝ることが多いという。
■5世帯に3世帯が転落の経験
パクさんのように、アジア通貨危機をきっかけに貧困へと転落したケースはどれくらいあるのだろうか。
本紙が社会統合委員会と共同で10年分の「韓国労働パネル調査」(1998-2007)を詳しく分析したところ、都市に住む家庭の5世帯に3世帯に当たる57%が、ここ10年間に1回以上、貧困に陥った経験があることが分かった。
また、5世帯に1世帯(23.7%)は5年以上にわたり、貧困から抜け出せずにいる。
労働パネルとは、政府が毎年、全国の都市部に暮らす5000世帯の生活状況を調査した資料だ。
分析チームのリーダーを務めた社会統合委員会のノ・デミョン委員は、
「今は中産層だが、貧困のラインギリギリでいつ転落するか分からないケースも増えている」
と話す。
このように、生活が楽になったと思えば再び転落する現象を、専門家は「反復貧困」と呼んでいる。
反復貧困は文字通り、波のように繰り返し「ワーキングプア」を苦しめる。
今回の分析によると、5年以上にわたり貧困に苦しむ階層の中で、身体に障害がある人や、高齢で社会に頼らざるを得ない人は少数(19%)だ。
大部分の人は仕事をする能力があり、実際に働いているが、生活が改善しないワーキングプアだった。
専門家はワーキングプアの数を300万人以上と試算しているが、イ・ヒョンスクさん(61)もその一人だ。
■「しっかり者」女性の貧困への転落
イさんはかつて貿易会社に勤務していたとき、中小企業で経理の仕事をしていた今の夫と知り合った。
結婚から6年後、ソウル江北地区に一軒家を購入し、周りからは「しっかり者」などと呼ばれていたが、アジア通貨危機でイさんが積み上げてきたすべてが一気に崩壊した。
夫の会社が倒産しただけでなく、夫が保証書にサインしていたため、自宅も失ってしまった。
夫は多重債務者に、イさんは生活保護の受給者となった。
イさんはその後、電話相談員として再就職した。
教育だけが生き残る道と考えたイさんは、賃貸住宅に住み毎月の家賃を支払いながら、手持ちのわずかな資金で息子と娘を塾に行かせた。
必死に働いてきたおかげで長女(28)が政府系企業に就職し、毎月150万ウォン(約11万円)の給料を受け取るようになった。
息子(25)も名門大学に入り、複数のアルバイトを掛け持ちしながら月100万ウォン(約7万1000円)を稼いだ。
家族全員の収入をかき集め、7000万ウォン(約 500万円)の資金を準備してチョンセ(家を借りるために家主に支払う高額の保証金)に充て、生活保護受給者から抜け出した。
しかし、その後の暮らしも順調にはいかなかった。
イさんは6月、相談員を定年退職した。
夫は体調を崩し働くことができない状態で、息子は軍に入隊している。
もう一度生活保護を受けようと住民センターに相談したが、「娘に収入がある」という理由で却下された。
「娘は嫁いだため、実家の家族を養うことはできない」と説明したが、受け入れてもらえなかった。
イさんは「食べていくのも大変で、気が狂いそうだ。貧困から抜け出そうとこれまで必死で働いてきたのに、また奈落の底に突き落されたような気分だ」と話す。
■低迷状態の貧困脱出率
1990年代前半(1989-95)までは、高速成長によりすべてが上向きだった。
上昇のペースに違いがあっただけで、誰もが経済状況を改善させていた。
前述のパクさんは若いころ、電気もない藁屋に住んでいたが、その後、蛇口をひねれば温水が出るような住宅に引っ越した。
自分は教育をまともに受けたことはなかったが、子供たちは高校まで行かせた。
イさんも、何もないところからスタートし、30代半ばでマイホームを手に入れた。
しかし、2010年の大韓民国では、下降するケースがむしろ多くなっている。
分析チームによると、都市に暮らす世帯のうち、中産層以上から貧困層に転落したケース(貧困進入率)は、アジア通貨危機直後の1999年に10.4%とピークを迎えたが、その後は2003年に8.1%、05年6.1%へと徐々に低下したという。
ところが、07年には再び7.1%に跳ね上がった。
一方で、貧困から抜け出す割合(貧困脱出率)は2001年に7.8%とピークを迎えたが、その後は6%台後半で推移している(03年6.6%→05 年 6.7%→07年 6.8%)。
その結果、貧困から抜け出せない世帯(貧困残存率)は、1999年の14.3%から07年には20.3%へと急増した。
つまり、
(1)不況のたびに不安定な中産層が一気にはしごの一番下に転落し、
(2)下から上にはい上がれるケースは減り、
(3)一番下であがいても抜け出せない
-という悪循環な構造が定着したということだ。
2009 年はまだ統計が出ていないが、世界的な金融危機の影響で、このような現象はさらに深刻化している、と分析チームはみている。
■余裕ができるとすぐに支出が増加
療養保護士として働くキム・ドクジャさん(52)は、「上がるのは難しいが、落ちるのは簡単」と話す。
キムさんの夫(54)は都市ガス工事業を営んでいたが、アジア通貨危機で経営が行き詰まった。
二人で必死に働いて1億5000万ウォン(約1100万円)の借金を返済したものの、貯金はまったくできなかった。
キムさんは「若いころは、今ごろの年齢になれば金持ちまではいかなくとも、貧しさに苦しむことはないと思っていた」と話した。
夫が日雇いで稼ぐ毎月の収入が150万ウォン(約11万円)から200万ウォン(約14万円)。
それに自分の収入の80万ウォン(約5万7000円)から90万ウォン(約6 万4000円)を加えても、5人家族の食費、光熱費、交通費、病院代などを支払うと、手元には何も残らない。
キムさんは、「最後に貯金したのがいつだったかも覚えていない」と話す。
大学生の息子(24)と娘(23)は現在、休学中だ。
キムさんは「余裕ができたと思ったら、すぐにまた出費が必要になる。
わたしたちのような家庭は、仕事が減ったり病気になると、すぐに転落するだろう」と嘆いた。
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