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記事入力 : 2010/09/08 11:56:58
http://www.chosunonline.com/news/20100908000045
【萬物相】成人の8割が「自分は庶民」と考える国
「
できの悪い人たちは顔を見るだけでも楽しい
/散髪屋の前でマクワウリの皮をむき
/縁台に座ってマッコリ(韓国式濁り酒)で一杯やれば
/皆な友達のように思える
」
これは、詩人の申庚林(シン・ギョンリム)氏が、1970年代の田舎の市場で目にした庶民の様子を詩で表現したものだ。
同氏が詩で詠った庶民は、「久しぶりに市場に行って親しい顔ぶれと一杯やり、日が沈むころに白いゴム靴1足と魚1匹を手に、酒に酔った赤い顔で家に帰る。
しかし、心の片隅は、日照りや借金の返済に対する心配事で重い」というものだ。
「庶民」という言葉の「庶」という漢字を見ると、下の方で何かがうごめくような光景を想像する。
数が多いことから、おそらく貴重なものではないだろう。
一説では、飢饉(ききん)のときに食べられていた「黍(キビ)」と発音が同じ(どちらも韓国語で「ソ」)のため、庶民という言葉に
「黍や粟で何とか腹を満たし、春の端境期を乗り越えようとする人たち」
という意味が込められているといわれる。
「庶民」も「中産層」もどちらも普通の人たちのことを意味するが、はっきりとした違いもある。
ある人は中産層について、「月収300万ウォン(約 21万円)以上で、30坪(約99平方メートル)程度のマンションに住み、2000ccほどの車に乗る人たち」と定義した。
庶民は一般的に、この中産層以下だ。
ただし、このような数字上での違い以上に実感することがある。
それは、二つの言葉を聞いたときの感覚の違いだ。
中産層には何となく「夢」という言葉が似合うように感じられ、庶民には「悲しみや喜び」「悩み」といった言葉がしっくりくる。
食べるものや着るもの、あるいは住む環境も今ほど良くはなかったが、それでも国民の70-80%が「わたしは中産層」と考えていた時期があった。
「今はまだ中産層の仲間入りはできていないが、もう少し努力すれば中産層になれる」
という夢は、どんな人にも元気を与えてくれる。
しかし、1998年のアジア通貨危機から事情は変った。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)前政権は国民を上位20%とそれ以外の80%に分けて対立をあおったため、「わたしは中産層」という考えは持ちにくくなった。
2006年に行われた調査では、「わたしは中産層」という回答は4人に1人にまで減った。
韓国保険社会研究院が一昨日発表した調査結果によると、19歳以上の86%が自らを庶民と考えていることが分かった。
韓国では以前に比べて中産層が大きく減ったといわれているが、それでも2009年の時点で56%だった。
つまり、多くの人が自らの立場を実際よりも低く考えているということだ。
要するに中産層の崩壊よりも、中産層としての意識の崩壊の方が深刻だ。
きょうよりもあすの方が良くなるという希望のない社会は、不安な社会だからだ。
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