2010年8月16日月曜日

マイホームの夢遠い

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記事入力 : 2010/08/05 14:56:13
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格差社会:マイホームの夢遠い韓国

 大韓民国社会において「マイホーム」は、単に物理的な居住地ではない。
家族全員が寄り添って生活を向上させる「はしご」であると同時に、最悪の貧困に転落しないための支えでもある。
マイホームがあれば、家長が職を失っても家族がバラバラになることはないが、そうでない場合には危機に直面した際、非常に弱い。
拡大成長の時代に、家族を一つにまとめて経済的地位を向上させるという夢を抱かせてくれた「マイホームのはしご」は今や、急速に崩壊している。

■マイホームを失い夢も消えた

 京畿道果川市にある「はちみつ集落」内のビニールハウスに住むホン・スンスンさん(59)は、一時はマイホームを基盤に経済的にも社会的にも地位を確立したが、家を失った途端に家族全体の運命が転落したケースだ。

 ホンさんは結婚後、夫の両親の援助を受け衣料品輸入会社を立ち上げ、30代の若さでソウル市江南区ノンヒョン洞に37坪(約122平方メートル)のヴィラ(多世帯住宅)を購入した。
その後もホンさんは、この家を拠点にさらに上を目指し、自宅を担保に事業資金を借り入れ、建設現場に工事用のエレベーターを設置する企業を立ち上げた。

 事業が好調だったこともあり、ソウル市瑞草区に48坪(約158平方メートル)のヴィラを追加で購入した。
周りからは「金持ち」という声も聞かれた。
息子4人を持つホンさん夫婦は、互いに自分専用の車を所有し、休暇シーズンには海外旅行にも出掛けた。
ホンさんにとって、マイホームはまさに上昇へのはしごだった。

 しかし、ホンさん一家の上昇もここまでだった。
アジア通貨危機の影響で、ホンさんは手形の決済ができず、2軒の持ち家を一気に失った。
それ以来、家族全員が一つ屋根の下で寝ることさえぜいたくなこととなった。

 ホンさん夫婦は息子を二人ずつ連れて別居した。
ホンさんは京畿道果川市注岩洞に毎月25万ウォン(約1万8000円)の家賃でワンルームを借りた。
ホンさんは「家賃の支払日がすぐにやってくるため、いつも心臓がドキドキしている」と話す。
公共勤労(自治体などによる失業対策のための仕事)による収入が月50万ウォン(約3万6000円)から60万ウォン(約4万3000円)ほどあるが、その半分が家賃で消え、残ったお金で何とか生活していると、またすぐに次の家賃支払日がやってくる。

 このままではいけないと悩んだ挙句、ホンさん夫婦は果川市の競馬公園裏にある農園地区に引っ越すことにした。
300軒ほどのビニールハウスがあるが、花を栽培しているのはその半分ほどで、残りはホンさんのように行き場のない人たちが雨風をしのぐ無許可の住居となっている。
ホンさんはビニールハウスの上に黒い幕を張って直射日光を遮り、横にはベニヤ板を建てて壁紙を張り、下にはオンドル用の床材を敷くなどして二つの部屋とリビング、キッチンを作った。
ビニールハウスの隅には簡易シャワー室とくみ取り式のトイレも確保した。

 アジア通貨危機直後、この「はちみつ集落」に引っ越して来たのは、ホンさん一家を含めて80世帯。
その後クレジットカード危機、世界的な金融危機などを経て今では250世帯に増え、総勢600人が暮らしている。
年齢も生後2カ月の赤ちゃんから84歳の高齢者までさまざまで、通常は一つのビニールハウスに1-2世帯が生活している。

 ホンさんは、
「最初は2-3年ほどここで暮らして自宅を手に入れようと思っていたが、いくら共稼ぎをして頑張っても、金が貯まるペースは住宅価格上昇のペースに追いつかない」
と嘆く。
ホンさんが住むビニールハウス内で、幸せだった過去を思い起させてくれる者といえば、旧式の米国製冷蔵庫と、観賞用の自然石数個だけだ。

■高齢化するマイホーム購入年齢

  「はしごが消える」諮問団のパク・シンヨン土地住宅研究院先任研究委員が20年分(1985-2005)の人口住宅総調査結果を調べたところ、 40代半ば(45歳未満)までにマイホームを購入したケースは徐々に減少(85年60.4%→05年53.8%)し、それに伴う形で借家住まいが増加して いったことが分かった。
借家の内訳はチョンセ(高額の補償金を支払って毎月の家賃なしに借りる住宅)が20.1%→25%、毎月家賃を支払う形式が 16.2%→18.2%だった。

 つまり若い世代にとっては、マイホームの夢を実現する年齢が徐々に高まっているということだ。
日 本による植民地時代に生まれた世代(1941-45年生まれ)は、10人に6人(60.4%)が45歳までにマイホームを手に入れたが、これが解放直後 (46-50年)に生まれた世代では 53.8%、第1次ベビーブーム世代(51-55年生まれ)は56.6%、第2次ベビーブーム世代(56-60年生まれ)は54.4%、386世代 (61-65年生まれ)では53.8%と、この年齢になるまでにマイホームを手に入れる割合が徐々に低くなったのだ。

 主要先進国ではマイホーム保有率が少しずつ上昇しており、またマイホームを保有しない人たち向けの公共賃貸住宅も増加している。
一方、韓国でのマイホーム保有率は、1970年には71.7%にまで上昇したが、2005年には55.6%へと逆に減少した。
パク委員は、
「マイホームというのはさまざまな側面で、社会のセーフティーネットとしての役割を果たしている。そのため、マイホームの夢を実現できなかった人や、それを失った人は、病気や失業などに弱い」
と説明する。
貯蓄や再起するに当たって、住居費が大きな負担となるからだ。

■子に受け継がれる借家暮らし

 マイホームの夢が遠ざかるほど、庶民の暮らしは厳しくなる。
全羅北道全州市に住むパク・クムジャさん(67)は、1989年に夫が事業に失敗し、所有していた一軒家を失った。
その後、パクさんは借家に住みながら工事現場の近くで飲食店を営み、7年で6000万ウォン(約430万円)を貯金し、それを元手にマンション団地のショッピングセンター1階に広さ100平方メートルの飲食店を新しく開業した。

 しかし、再起に向けた努力もわずか2年で水の泡となった。
建物のオーナーが事業に失敗し、建物そのものが競売にかけられたのだ。
パクさんは 6000万ウォンの補償金を失うことを恐れ、悩んだ末にヤミ金業者や銀行などから2億5000万ウォン(約1800万円)を借りて建物を落札した。
「ここから追い出されてしまったらおしまいだ」という恐怖感が冒険心をあおった。

 ところがその直後、アジア通貨危機に見舞われた。
その影響でテナントから毎月の家賃収入が遅れ、銀行の金利も年18%にまで跳ね上がったが、建物の価格は逆に大きく落ち込んだ。
力を振り絞って必死に商売を続けたが、借金はいつの間にか4億ウォン(約2900万円)にまで膨れ上がっていた。

 果川市でビニールハウスに住むホン・スンスンさんと同居している末の息子(32)は大手企業に就職したが、ホンさんは息子に対し、「家には生活費を入れなくてもいい」と話した。
息子が完全に自立して結婚できるようになるまで支援する余力がないため、自分の力でマイホームを手に入れ、結婚するように、という親として最後の配慮だった。

 しかし、ソウル市永登浦区に住むキム・ウンスンさん(70)にとっては、ホンさんのように安定した仕事を持つ息子がいるだけでもうらやましい話だ。
キムさんは収入が少ないため、一生借家暮らしから抜け出すことができず、子供に十分な教育を受けさせることができなかった。
一人娘のチョン・ウンジュさん(37)も仁川で借家暮らしをしている。
子供の住宅購入に親が援助できなければ、借家暮らしは代々受け継がれていくというわけだ。

 キムさんの娘チョンさんは、家政婦やコンビニのアルバイトなどを転々とした末に、仁川にある刺し身店に就職し、毎月110万ウォン(約7万 9000円)の収入を得ている。
若くして離婚したキムさんは、大家に幼い娘を預けてジュース工場や化粧品販売などの仕事をしながら必死に生計を立ててきた。
キムさんは「家賃を支払うと手元にはほとんど残らず、娘を中学校までしかやれなかった」と嘆く。
それがあまりにも申し訳なくて、キムさんは3年前に交通事故に遭った際に受け取った300万ウォン(約22万円)を、娘が家を借りる際の補償金に充てた。

 キムさんは補償金800万ウォン(約58万円)の部屋を借りて、一人で暮らしている。
キムさんは町内の公園や市場を周りながら、ボロ切れを拾い集め、不自由な体で自宅の共同トイレを掃除している。
チョンセの補償金を上げるよう求めてこない大家に感謝し、自ら率先して掃除をしているという。
もし補償金が上がれば、キムさんは行くところを失うことになるからだ。
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